妊娠をして初めて授かった赤ちゃん。出産後、新しい家族との生活を楽しみに待っているママは多いのでは?
筆者もそのうちの1人です。
ただ、「楽しい」だけではないという現実もしっかりと感じています。これまで働いてきたママ、これからも働き続けたいママにとっては「子供を保育園に預ける」という選択肢は当然のごとく出てくるでしょう。
正直なところ、小さなうちから保育園に預けることに少しためらいの気持ちもありますが、それってなぜママだけが悩むんでしょうか。
そもそも、そこにためらいを感じる理由は何なのか。保育で本当に大切なことって何なのだろうか。
筆者自身、ある友人から言われた言葉をきっかけに、モヤモヤした気持ちを抱えて悩んだ時期もありました。
ただ、今は一つの答えに達し、これからのプランが明確になりました。
この記事では、子供を保育園に預けることについて筆者なりの意見を述べた主観が中心の記事です。不快に思われる人もいるかもしれませんので、その可能性があると思う人はご退出ください。
ただ、私が感じた「違和感」を同じように感じている人は必ずいるのでは、と思い書かせていただきました。
目次
子供を保育園に預けることは悪なのか
ある日、昔からの級友 Aちゃんとランチに出かけたときのことです。
今年のはじめに私の妊娠が発覚してからバタバタとして1年弱会えてなかったので、久しぶりでした。
▼Aちゃん
- 年齢:30歳
- 職業:幼稚園の先生一筋
- 住まい:神奈川の湘南エリアで実家暮らし
- 状況:独身、出産の経験なし
自分で稼いだお金はすべて自分に使える環境なので、度々海外旅行などに行って日々を楽しんでいる様子。
筆者自身、妊娠を機に生活環境が徐々に変わり、これまでのように使っていたお金は少しずつ貯蓄をはじめたり、今後のことについて真剣に考えるようになっていた時期でもありました。
幼稚園の先生をしているAちゃんに、特に深く考えず、私が今考えていることやこれからの悩ましいことなどを話してみたんです。
私「子供が生まれたら保育園に預けようと思ってるけど、都内はどこも激戦区で大変そうなんだよね〜」
すると。
Aちゃん「え〜保育園なんて入れるのかわいそう!3〜4歳くらいまではお母さんと一緒の方が絶対良いよ!」
私「・・・それは考えなくはないけど、29歳まで仕事してきた自分の経験をこれからも生かして仕事は続けたいし、収入的にも都内で暮らしていくには私も仕事する必要があるんだよね」
Aちゃん「仕事なんていつでも復帰できるじゃん。でも、子供の成長はそのときにしか見れないんだよ」
う〜ん・・・・。言ってることは理解できるし、全く考えていなかったわけではないんだけど・・・。
何だか私はこの会話に違和感を感じたのです。
なので、違和感のポイントを自分なりに分析してみました。
- 保育園に入れてママと離れる時間があることが、子供にどんなメリット・デメリットがあるのかまで考えて言ってるのか
- 3〜4歳までママとずっと一緒なら、良い環境と言い切れるのか
- 私の仕事の環境や傾向をそもそもまったく知らない=復帰の大変さを知らない
- 復帰が難しければ今後の長い人生を夫の収入だけに頼ることになる、その不安やデメリットを考えたことがあるのか
(※念のため補足しておくと、夫は毎日仕事を頑張ってくれていて何も不満はありません。ただ、私たち家庭で検討した生活水準を満たすためには夫婦で収入を得る必要があるということはわかっているため、上記のような書き方をしています。)
など、あげたらキリがないですがAちゃんと話していて、こういう気持ちが一気に湧いてきたんですね。
何だか、日本全体に蔓延している「育児はこうあるべき」みたいな思考の枠にとらわれ過ぎていないか?と感じたんです。
子供もそれぞれ、母もそれぞれ、父もそれぞれ、どこにも同じ家庭はないはず。なのに、なぜ育児はこうあるべきだ、という風潮が未だに強く根付いてるのだろう。
それはある意味、思考停止状態ではないだろうか、と。
モヤモヤしたけれども、まだ自分の中できちんと言葉で説明できない「違和感」を抱えたまま、その日は自宅へと帰りました。
子供を保育園に預けずママがすべて担えば素晴らしいのか
Aちゃんと話したあと、たびたび子供を保育園に預けることについて考えるようになりました。
そもそも、保育園に預けること自体を「悪」みたいな捉え方になるのはなぜなのか?
悪であれば保育園という施設自体いらないはず。保育園を必要とし、意義を感じる人がいるから存在するんじゃないのか?
という考えが巡りに巡ります。
では逆に、保育園に預けず4〜5歳までの期間、丸一日ママと一緒にいればそれだけで素晴らしいことなのでしょうか。
私は一概にはそうでないと感じます。
本質的には、保育園に預けたとしても、ママと一緒にいたとしても、子供にとって良いと思われる環境で過ごせるようにすることが大事なはずです。
保育園に預けたからといってそれが必ずしも良いことかは正直わかりません。でも、ママとずっと一緒に居れたからといって、同じようにその環境が必ずしも子供にとって良いとは言い切れないですよね。
大切なのは、ママやパパが子供にどう過ごして欲しいか、どんな環境でどんなことを感じて成長して欲しいか、子供の性格を見てどんなところなら合うのかなどの教育方針をしっかり持ち、その上でどのように過ごすのがベストかをそれぞれの家庭で決めることです。
自分の子供は自分が育てる。それは場所(家か保育園か)や人(母か保育士か)や時間を限定して考えることではなく、子育てを含めた各家庭が描くビジョンがあり、夢をもち、目的を明確にして、ゴールを掲げ、目標を立てるべきです。
つまり、自分自身(家庭)のビジョンや夢を大切に考えた上で子育ての方法を決定するというのは、当然だと思っています。
それをすっ飛ばして、「育児はこうあるべき」という思考の枠を人に押し付けるのは本質的な話になっていません。
保育に関する考えは柔軟に持った方が良い
そもそも、「保育はこうあるべき」のような概念を多くの人が持っているのはなぜなのでしょうか。
それはおそらく、戦前・戦後の環境が強く影響していると思っています。
戦前、女性に強く求められた役割としては「良妻賢母」という言葉がしっくりくるでしょう。家を守り、後継となる男児を産み、立派に育てることを期待された時代です。
そして、戦争によって男性が兵隊として送り出され国を守り、家は女性が守るという家庭の形が固定化されていきました。
終戦後は米国による占領統治によって、男女平等を基本とする民主社会へと変革し始めました。それでも、長年築いてきたそれまでの家庭の形や男と女のあり方などの固定概念・風潮はすぐにはなくなるものではありません。
当時の日本の政治や教育自体が、男性は外で仕事・女性は子育てと家事に専念という体制を浸透するものだったため、今でもその意識は根強く残っているのだと思います。
ただ、時代は50年前とは確実に変わっており、女性の活躍する領域も明らかに拡大している現代で、50年前と同じような育児の捉え方をしていてはギャップが生じるのも当然ではないでしょうか。
数十年間つづいてきた家庭の形が変わっていくのを受け入れられない世代がいるのは致し方ないとしても、現代を生きる30代前後の私たちはもう少し柔軟な考え方にシフトすべきだと思っています。
保育園・保育士が不足してるという課題は別問題
世の中の風潮に加え、新たな問題となっているのは保育園・保育士の不足。
前述したように、時代は変わり女性が活躍する幅が拡大しているにもかかわらず、その女性が活躍できる環境を整備しきれていない現状があります。
保育園・保育士が不足しているのなら自宅で自分が育てるべき、という意見が聞こえたりもしますが、それはまた別問題だと捉えています。それは問題の焦点がすり替わった捉え方です。
保育園・保育士が不足しているのなら、それは国がきちんと整備するべきです。保育園の問題だけではなく、国民が抱える問題・課題・ニーズに対して応えるのが国や各地方公共団体の役割だからです。
私たちは何のために多額の税金を払っているのでしょうか?
「国民の健康で豊かな生活を実現するために、国や地方公共団体が行う活動の財源」とするためです。
であれば、その生活を実現するために、国や地方公共団体は力を尽くして国民が抱える問題や課題を解決するべきです。
明らかに、保育園・保育士が不足しているという課題が浮き彫りになっているにもかかわらず、その課題を解決できていないのは、国や地方公共団体の活動に滞りが生じているからです。
その課題を解決するべきなのは、ママではないのです。
もちろん、国や地方公共団体の活動に滞りが生じているんだから育児を放棄して良い、と言っているわけではありません。自分の子供・家庭は何があっても守るべきです。
その上で、声を大にして訴え続けなければ現状が変わることはありません。
生き生きとしてるママと無理してるママどっちが良いか
私は、保育園に預けることに固執しているわけではありません。それがすべてとも思っていないですし、もちろんママ業に専念する人もいて当然です。どちらが正しいとも思っていません。
幼少期の頃の自分を思い出すと、父もですがやはり母の存在はとても大きいものでした。今でもそれは変わりません。
私の母は、家計のためにと2つも3つも仕事を掛け持ちしたりしながら生活を支えてくれていました。
幼いながらに私自身もそれは理解していたつもりです。
ただ、いつも険しい表情で疲れている母を見ているのが辛いな、と感じたことは1度や2度ではありません。
でも、食事中や何気ない会話の中でたまに母が笑うと、その笑顔がとてつもなく嬉しいと感じたことも鮮明に覚えています。
つまり、子供は笑顔で生き生きとした母を見るのが嬉しいのです。
母を笑顔で生き生きとさせる要素が仕事なら仕事をして欲しい。子供と長く一緒にいることなら一緒にいて欲しい。趣味であれば趣味を全うして欲しい。
小さな子供でも、母のそういう笑顔の姿を願うものです。少なくとも私自身はそうでした。
無理をして、ヘトヘトになるまで、やりたくないことをしなくても良いのに・・・と思います。
(無理をせざるをえない状況があるのも承知しています。)
大切なのは、子供だけではなく家庭の中で母が生き生きとハッピーでいること。これは、育児においてもとても重要なポイントだと思っています。
毎日生き生きと楽しそうな母を見るのと、つまらなそうで険しい表情をしている母を見るのとでは、子供への影響に大きな差が発生すると思いませんか?
子供だけではなく、夫婦関係や家庭環境そのものにも影響するとても重要なことです。もちろん、パパも精神面・体力面で支障をきたすほどに無理をするのは家庭内のバランスを崩すことにつながります。
だからこそ、自分が母になったときに、どうすれば笑顔でいられるかを考えます。その1つが、私にとっては仕事です。社会に出てなりたい自分に一歩でも近づくことです。仕事をすることによって自分の存在に意義を感じ、誇りをもつことができます。
その凛とした姿で子供にも接したいです。その方が、子供が笑顔になれるのは自分が身をもって経験したことです。
一概に、一日中ずっと子供と一緒の365日を過ごすことが、子供や家庭のためになるとは限りません。その家庭や環境によってそれぞれのベストな生き方があると思います。そして、それを見つけることが最優先事項だと思っています。
大事なのは世論ではなく自分の意思
ここまでとても主観的な内容で書いてきましたが私が言いたかったことは
「大事なのは世論ではなく、自分(家庭)のプランを決めてそれに沿った生き方をすること」です。
子育てが人生のすべてではありません。母となっても父となっても、それぞれの人生を生きることには変わりありません。生まれてきた子供もそうです。
子育ては1つの大きなライフイベントではありますが、それ以外にも家族でやりたいこと・自分が実現したいことってたくさんあるはずです。
それらを諦める理由を、子供にしてはいけないと思うのです。
例えば、「毎年、海外旅行に家族で行きたい」というゴールを持った家庭があるとします。
なぜなら「家族で多くの思い出を作りたい・子供に見たことのないものを見せたい・体験させてあげたい」という目的があるからです。
では、それを実現するために現実を見たとき、夫の年収のみで1年間暮らしても毎月の生活費とちょっとした貯蓄だけで精一杯。。。であれば、妻も仕事をしてそのゴールを達成できるように環境を整えるというアクションが必要でしょう。
どうしても実現したいことがあるのであれば、どうすれば実現できるか考えてアクションをするのみです。
子供が生まれたからといって諦めることばかり増えては人生を楽しめません。人生を楽しんでいない親が、人生は楽しいものだと子供に教えることはできないと思います。その生き方に納得感があるかが重要です。「育児」はママだけが背負う問題ではありません。家族としてどうありたいかを明確にした上で、どのように子育てをしていくか各家庭で最適なプランを決め、それを守っていくということが大事だと思います。